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2015年9月28日 (月)

清水エスパルスと共に歩んだからこそ降格を悲しめる

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様々なことができる有能な人を羨んだりあこがれたり嫉妬したり憎んだり。

できない奴が必死にもがきながら戦う様を見て

そうした奴の方が好きだと上から言葉を放つ支配者。

そんな支配者は絶対に信用できない。

好きというのは娯楽であり、面白おかしく好感持ちますというだけだ。

そのできない奴になんら利益を与えず、手の上で転がして楽しむだろう。

できない奴は地獄だ。

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もがき苦しむ清水エスパルス。

人生の困難を幾度も背負ってきた人間なら

まともな精神で試合に臨めるだろう。

だが彼らスポーツエリートにとって

努力することで危機を乗り越えてきた人間にとって

今の状況は受け入れがたく能力を超えている。

命がけの努力をした末に破綻して裏切られ絶望を負担した人間なら

今の状況で全うな精神を持って試合に臨める。

だがそんな選手が清水にどれだけいるだろう。

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彼らは努力こそ乗り越える力だと信じて生きてきたのではないか。

それは幼稚だ。

子供社会でしか成り立たない。

努力を信じて戦い抜いてきた選手は今の状況下において無力となる。

相手のカウンターを許し、甘いミスで失点する。

そうじゃない。

この世は絶望の上に成り立っている。

努力が潰されて、誰にも理解されずに不遇に陥る。

そこから悪人を自覚して這い上がる力が今の清水の選手達にあるか。

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自分たちを支えてきて称賛してくれた人間が手の平を返す。

実際に会う人間は好意的なのに世評は滅多切りにしてくる。

フットボールは世界のスポーツだ。

日本の価値観は通用しない。

善意の人達が集まった松本の土地で

彼らを蹴散らして勝ち点3をつかむ。

それがスポーツだ。

戦争ではない。

スポーツなのだ。

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スタジアムのことで思い出すのは

つらいことばかりだ。

タスキの張られたウルトラエリアで多くの人に助けられたが

数々の人間から人権を奪われた。

加害する人間は弱い者たちだし、私はさらに無力だった。

フィクションは弱者が人権を勝ち取るストーリーを描くが

現実には弱者は弱者のままであり

ひねくれて悍ましくなり誰からも見放される。

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嬉しかった思い出はエコパのダービー勝利だろうか。

最後の最後でチョジェジンがゴールを決め、清水は勝利した。

あのときの一体感はいまだに忘れられない。

私の人生が無に終わり、死に伏すときも

あのときの勝利、そのときのゴール裏の一体感を思い出したい。

視界ゼロのエコパのゴール裏で

タスキを担ぎながら、私は救われた。

本当に救われた。

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40歳になって人生も後半に入った。

両親を見ていると50歳までは若者同様に振る舞っていたが

それより先は急激に衰える。

あと10年が様々なことのリミットかと思っている。

とはいえ、私には100歳を越える祖母がいる。

彼女にとってみれば、私が生まれてから40歳になるまでなど

あっという間だったかもしれない。

ひ孫も大勢いて、私のような孫たちが中高年に差し掛かっていく。

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こんな怠惰な私でも二十代の頃は戦い続けたものだ。

よくやっていたものだと思う。

若者は無条件に希望を抱くがなんの根拠もない。

清水の選手たちは自分にできることを認識し、無駄な空回りをやめる力があるか。

あれば今シーズンはまだ終わらないが、精一杯やって崩れましたという幼稚さでは終わりだ。

相手は浦和や広島のような精度も判断力も持たない。

松本の地で悪人となれ。

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