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2009年7月12日 - 2009年7月18日

2009年7月18日 (土)

岩下の大ちょんぼで二失点を喰らう

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いやあ、びっくりすらあ。

体調が悪く、バックスタンドのホーム側・前列で見てたので、まさに目の前。

岩下の二連続ミスで二失点。

最終ラインでボールをキープしているだけなのに、ふらっとボールをとられる始末。

すまんすまんと謝っていたのは最初の失点のあと。

二失点目は本人も何もボディパフォーマンスはせず。

青山をベンチに下げて、児玉&岩下のセンターバックでいくんだと長谷川監督は決断した。

その決断に対する答えが、岩下の凡ミスで二失点。

攻め崩されたわけじゃないものね。

凄いシュートが決まったわけでもないし。

納得いかないっすよ、岩下。

0-2で前半を終えたらやばかったが、前半終了間際に岡ちゃんが意地のゴール。

ハーフタイムに1-2で入れて、なんとか延命されました。

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2009年7月16日 (木)

ナビスコカップ決勝T 1st 浦和レッズ 2-1 清水エスパルス 埼玉

決勝トーナメント一回戦のファーストレグ。

まずはアウェイの埼玉から。

パウロがPKを与えてしまったのか。

内容は見てないのでわかりません。

後半開始早々、枝村のゴールで追いつくも、エジミウソンに決められ、敗北。

後半途中から、藤本、ヨンセン、純平が出たんだね。

アウェイゴールをとったということで、次の試合1-0で良いという選択肢が残ったが、今の清水は到底1-0で勝てるようなチームじゃない。

むしろ0-0になりがち。

他所を見ると、FC東京が名古屋に爆勝してますし、浦和を乗り越えてもFC東京を越えられるかどうか。

まあ、とにかく次の日本平でのセカンドレグ。

絶対勝たないといけないので、激しくいきましょう。

俺は喉腫れと気管支炎で潰れてますが……

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シャムスカ解任

勝ち点4で最下位を独走中の大分トリニータ。

五年目のシーズンを迎えたシャムスカ監督が解任された。

昨年、リーグ最高4位とナビスコカップ優勝を果たしただけに残念。

去年以上の成績でないとサポーターは満足できないわけで、それが最下位独走となればつらい。

たぶんシャムスカが去ったあと、さらに深刻な状況になるだろう。

それは大分の名物社長も充分わかっていたこと。

だが辞めてもらうしかない。

苦渋の決断。

問題となった劣悪なピッチコンディション。

一年でのJ1復帰を考えて、今の時点で九州石油ドーム開催をあきらめ、一から芝を植えて育てるべきかも。

芝生の絨毯を敷いて根付かせるのは無理だった。

芝を植えて育てる過程は、愛鷹や草薙、瑞穂球で見てきている。

非常に時間がかかるが確実だ。

   

    

あと柏レイソルの監督も解任された。

去年までの石崎監督を追い出して、ヘッドコーチを監督へ昇格させたのだが、いったい何がやりたかったんだか。

理解不能意味不明。

太田は千葉へ移籍。流浪でござった。

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2009年7月15日 (水)

みおんぬ卒業  ディアステージ

みおんぬさんが卒業される日。

いつもの平日なら、一度目のライブが終わったあとは、まだまだ空いているのに、

この日は、一度目のライブが終わった直後から、みおんぬさんがいる二階レストランは満席に。

僕もなんとか厨房前の一人掛けテーブルをゲット。

あそこだけ厨房前のせいか、テーブルなのに椅子が一つで、具合いい。

    

日替わり定食のハンバーグとから揚げを食べながら、クランベリージュースも飲みながら、みおんぬさんのラストを過ごす。

みおんぬさんがいなかったりするときは、ドラクエをやってるお客さんが多かったです。

昔は、ドラクエをやりたくて早く家に帰りにたいという子供が多かった。

でも今は、外にいたまま、DSでドラクエなんだな。

時代。

      

みおんぬさんは色んな場所で、盛り上げ役を。

お客さんで松竹梅の一升瓶を持ち込まれた方もいまして、(新橋組?)

グラスに松竹梅を注いで、乾杯も行われていました。

僕は傍観してましたが、たぶん松竹梅にまつわる何かがあるのでしょう。(無知ですまん)

もちろん、音頭をとったのは、みおんぬさん。

    

みおんぬさんは僕のテーブルにも来てくれて、こないだのマイケルジャクソン追悼デイのときに二階で流行った、ムーンウォークについてお話し。

あのときは、まさかみおんぬさんがディアステからいなくなるとは思わなかったし。

一度目のライブのあとの二階レストランは、ディアガの数と客の数が釣り合うほどの空き具合で、

みな、通路を利用して、ムーンウォークに励んだのでした。

僕もやった。

あれが別にどうというわけでもないし、盛り上がりもしなかったのだけど、

なんでもいいから会話のキッカケをと思い、みおんぬさんがその話題を振ってくれたのだろう。

そんな心遣いに、ほろっときました。

     

みおんぬさんを最初に見たときは、生誕祭前だったかな。

久しぶりの出勤です、と言ってステージに登場し、間奏ではお客さんの一人一人と握手をし、僕もしたのを覚えてます。

あの冬の頃のディアステ客の面子と、夏真っ盛りの今の面子を比べても、かなり違うことに哀愁。

キャンベル発売イベント辺りでリードしていた面々が、どうなったのかはわからず。

さよならだけが人生だ。

     

ディアガールはみんな突然やめてしまうので、こうして卒業日があるのは珍しい。

ブログでやめることを告知したときには、もう次のシフトがないという状況が普通だから。

さよならがないディアステにとって、この状況は稀。

    

二度目のライブのときは、真音さんがステージで、みおんぬさんとの思い出を披露。

後から入ってきた真音さんに、オープニングスタッフであるみおんぬさんが、いろいろお仕事を教えてあげたんだとか。

今はなき、アバン店での思い出。

深夜ラジオ企画だったり、そうしたことの紹介に、舞台袖にいるみおんぬさんも涙涙。

   

三度目のライブは早めに始まり、みおんぬ単独ライブとなりました。

歌よりもトーク中心でいくということで、お客さんは床に座って、みおんぬさんもステージで座って、全員座りながらでの開催。

この光景は初でした。

体育座りや胡坐をかく人、いろいろ。

みおんぬさんは正座を少し崩した格好に。

    

ディアステージに入るキッカケとなった、マイミクさんとの話を披露。

まだディアステージがまだ存在する前。

歌をメインに営業するお店が今度アキバにできるらしいという情報を、マイミクさんがみおんぬさんに報告。

声優を目指して日夜、歌に精進していたみおんぬさんには朗報。

さっそくミクシィで教えられた人にメッセージを送る。

はじめまして、みおんぬですけど~と送信すると、ちずかですが~と返信があり、ネット上で初の接触。

そして週に一度ある会議に出席するに到ったそうで。

    

ディアステージがいざオープンすると、オープニングスタッフとして、みおんぬさんは活躍。

それから一年八ヶ月、こうしてディアステで頑張ってこられたのでした。

好き勝手に楽しくやれた深夜のアバン店。

ビルを貸しきっての、現在のでんぱビル経営に到る、ディアステージの拡大路線。

そのすべてを体感してこられた、みおんぬさんのしみじみしたトークに、床に座って静かに話を聞く客一同、ほろろ。

    

途中からトークは、涙まじりになり、りんさんがこっそりとティッシュをみおんぬさんに持っていく心遣い。

声優に絶対なるんだ、なれなかったら死ぬから、と宣言するみおんぬさん。

この熱い思いは、僕が長らく忘れていて、もう過去になってしまったものかもしれない。

二十代前半の頃の僕も、今のみおんぬさんと同じぐらい、夢と希望に燃えていたな。

そして、夢と希望がはかなく散ってしまっても、次があるんだよってことを覚えた。

次のステージが待っている。

それは最初の夢や希望とは違った世界なんだけど、いま僕が小説を書いているのもまさに次のステージに行ったことだし、将来のことはわからないけど、たとえそれだけだと若者が思いこんでいる夢がついえても、その次の希望が、未来が、絶対に待っているんだよね。

もちろん、みおんぬさんには必ず声優になってもらいたいし、僕は僕で、三十代のロケンロールということで、新しく見つけた今のことを頑張りたい。

黒柳徹子も徹子の部屋でよく言っている。

この世界は二番目にやり始めたことで成功している人がほとんどだと。

結局、それが適職なんだよね。

若い頃、自分の能力に盲目のまま必死にあこがれた分野より、これならイケるはずだと、二番目に見つけたもの。

でも、みおんぬさんは絶対声優に!!!

    

曲があったあと、再びトークに。

三度目のライブ、みおんぬ単独は、ほとんどトークに。

今度はステージ最前に腰掛けるスタイルをとって、泣きながらトーク。

歌に対する強い思い。

出勤前のカラオケボックス練習や、好きな歌でないと歌いたくないという思いを披露。

自分は路上から地道に始めようと思っていたのに、

マイミクさんから偶然、ディアステージプロジェクトを教わったおかげで、最初からステージで歌わせてもらうことになり、苦労を知らず、ここまで来てしまったと反省するみおんぬさん。

苦労しなきゃ絶対駄目だから、ここを辞めて、声優を目指す。

このまま、ディアステでぬくぬくしていたらいけない。

そう話すみおんぬさん。

    

右手、左手、両手、ふにゃふにゃふにゃふにゃ、と手をはためかせる曲もあり、

座っていて痺れた体を快復させるように、みな踊りまくり。

オタ芸打ちまくり。

なみ平さん、和歌さま、りんさん、保坂えみちゃんも、ステージに登場し、一緒に歌を盛り上げた。

最後は尾崎豊の十五の夜に。

ここで客同士が肩を組むことに。

僕も隣の人と肩を組み、ディアステで見られたことのないスクラムが完成。

僕は最前列でしたが、二列目、三列目と、雑然と混み合っていたオーススタンディングフロアに、肩を組んだ男達の列が幾つもできあがった。

端から端まで、肩を組んで、みおんぬの旅立ちを祝う。

十五の夜は、みおんぬさんが歌うよりも、客達の歌声が大きく、僕も十五の夜を歌った。

喉いかれていて気管支炎なのも忘れて。

あとあと、ぼろぼろになって大変でしたが、悔いなし。

そのぐらい、十五の夜は盛り上がった。

盗んだバイクで走り出す♪ と男達が肩を組んで体を左右に揺すりながら野太い合唱。

ステージでも、ディアガール達が十五の夜を。

誰にも縛られたくないと♪ という歌詞が青臭く感じられるぐらい、僕はおっさんになってしまったのですが、でもとても素晴らしい曲。

りんさんもステージにいたのですが、曲が終わる頃になって急いでPAに戻り、無事にラストの曲が終了。

     

そのあとで、もう一杯とアンコールがかかり、一時間ほどの長丁場となった、みおんぬ単独ライブも完全に終了。

お客さんから花束も渡されて、松竹梅を全員でコールして場が締まった。

卒業イベントが存在しなかったディアステで初のさよならライブ。

夢を強く語ったみおんぬさん。

僕も地味ながら、夢を追いかけ続けている。

それは最初に思い描いた夢ではないけれど。

強い力を感じた日となりました。

     

ちなみに、みおんぬさんは今後、ディアステージから歩いて一分もかからない場所にある、某ライブバーで活動するそうなので、

推しの方達はそちらに移動かな。

    

グッドバイ。

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