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2004年7月4日 - 2004年7月10日

2004年7月 4日 (日)

講演会

早稲田大学の文学部に講演を聴きに行ってきた。文學界、群像、新潮の編集長をそろえて、司会を教員の星野智幸が務めた。
群像の石坂編集長が言うには、新人賞応募原稿の多くが自分のことを書いてくる。それは別に構わないことだ。あえてフィクションを無理矢理捏造することもない。私小説も日本の伝統で素晴らしい。だが読み手に伝わらなくてはいけない。世の中の大半のことは、多くの人がわかる共有しているものと、個人にしか理解できないものに分かれる。
テレビなどのメディアで誰にでもわかるものを、さらに人にわかるように押し広めるのも一つの文化である。
しかし映画や小説というのは、誰もがわかるわけではない、極めて個人的な理解を、いかに多くの人にわかるように表現するかが大事になる。
それは小説なら状況描写であったり、実際言葉で説明してしまうことかもしれない。
「誰でもわからないことを、誰もがわかるように書く」
これができないと小説としては群像では採用されない。
ネタとしての個人的な体験、心理、苦悩、こうしたものを、誰もがわかるように表現できなければいけない。

そして誰もがわかるわけではないその塊を、どうにか他人が理解できるように文章や構成を駆使して表現しつくすのが小説家としての出発点である。
群像は1800篇の応募に対して、25人の下読みに回して、200篇の作品が生き残って編集部四人が読みにかかるそうだ。
下読みがわからなかった作品はとにかく残してくれと言ってある。
そして落選していく作品は、やはり作者の考えを作者しかわからない言葉で文章で表現してしまっている作品だそうだ。
たとえ内容の濃い、中身のあることを言っていそうな気がしても、それを伝える能力、赤の他人である読者に届かせることができる文章、構成がなければ小説家を生み出すコンペティションとしてNGになってしまう。
もちろん編集者一人にさえ届けば最終候補に残るのだが、最初の唯一の読者である編集者にすら届かないもどかしい情熱はやはり落選だ。
どう表現するか。
果たしてどれだけのことが伝わり得るのか。
これが今後の課題であるのは言うまでもない。

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